60%生活

人生七転び八起き

柔軟に生きるよ

遠慮してるわけじゃないのに、窮屈な気がするのはなぜだろう。


必要なものは全部揃っていて、特に欲しいものもないのに、不満が消えないのはどうしてなのか。


1億円手に入ったら全て解消するのだろうか。住む家を買って、当面の生活費もあって、たしかに解消する気もする。


だけどまた別の不満をどこかから見つけ出してきそう。現状に満足することなんてないんだろう、一生。


このように、私は安心するためにいろんなことを決めつけたがる。一生満足することがないと決めつければ、そこから満足を諦めて生きていくだけ。


この「決めつけ」がもったいないんじゃないか。


いろんな可能性があって、これからも変化するチャンスがあって、変わらないとか手に入らないとか決めつけるのってもったいない。


私のこの卑屈な性格は一生変わらないとか、ミニマリストだから一生物持ちになってはいけないとか。


「決めつけ」をなくすには、問い続けるしかない。


不満に思っているのはどうしてなのか、どうだったら満足できるのか。私はこれが本当に欲しいのか、欲しいという気持ちを押し付けられてるだけなのか。


何かに悩んでいるとき、こんなことで悩むのは自分だけのような気がしている。


いちいち物音がでかくて香水くさい女はこんなことじゃ悩まないだろうと思っているけど、それも私の勝手な決めつけで、人の心の中なんてわからない。


ベルトコンベアーに乗せられた荷物のように良いもの・悪いものに分けるのは簡単だけど、人はそんなに単純じゃない。


人を瞬時に良いもの・悪いものに分けるのと、人をモブキャラに見立てて無視するのはどっちが疲れないだろうか。


ちょうど1年前に(唐突なロード)「人のことを気にしてしまうけど、人は自分のことを気にしていないのだから自分も同じように気にしないのがいい」というようなことをブログに書いていたけど、今もやっぱり気にしてしまう。善か悪かを嗅ぎ取ってしまう。


これは身長とか持病とかと同じで変えられない性質なのかもしれない。


決めつけはやめたほうがいいけど、変えられないものもあることは知っておいたほうがいい。


変えられないものを受け入れて、そっからどうするかをこれから考えないといけない。


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